茨城県の史跡紹介

薬王院

由緒・沿革

吉田山神宮寺薬玉院は、水戸市元吉田町に所在し、関東で唯一の青蓮院直末の天台寺院です。
平安初期に桓武天皇の勅願所として建立されたと考えられるこの寺は、常陸三の宮の吉田社の神宮寺として国家安全の祈祷をつとめ、この地方の豪族である常陸大掾氏と密接な関係をもって、その帰依と同時に保護をうけてきました。

鎌倉時代以降、栄智・広海・成珍と相承しましたが、なかでも成珍は、税所氏の養子となった石河忠成の孫で師僧都と尊称され、山本郷・吉田郷を相伝し、一分地頭として鎌倉幕府の御家人的な立場になっていました。このようにして鎌倉幕府とのつながりが深くなるとともに神宮寺は「公家・武家兼帯の御祈祷所」として次第に吉田社の支配から離れ、独立したあゆみを進めるようになったのです。

江戸時代においては、元禄二年(1689)9月、光圀は、薬王院が古くから青蓮院の法流(三昧流)をくむ直末寺であったのに佐竹氏による改宗以来断絶していることを憂い、青蓮院末に復させ、同十年には水戸藩では唯一の天台宗檀林所にとり立てています。薬王院は、同一二年には関東八檀林の一つに認定されているが、これも光圀の希望であったようで、談所を整備するとともに長楽寺に住していた良運大僧正を迎え、水戸地方では唯一の談所として、学徳の高い学頭のもとで学生の研学が行われました。

尚、薬王院では、本堂が国指定重要文化財、本尊薬師如来および十二神将と仁王門が茨城県指定有形文化財、松平亀千代丸墓塔・金剛カ士像(仁王)・四脚門が水戸市指定重要文化財となっています。

基本情報

所在地 茨城県水戸市元吉田町682
交通 JR常磐線水戸駅より車で約10分
備考

公式ホームページはこちらより»

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